親父が見せてくれた背中を越えるのが息子の役割です。

こんにちは、
言葉の力とブログの仕組みで自動集客を実現する!
USPデザイナー畠山勇一(はたけやま ゆういち)です。

 

父親と久々に話した時に、私の起業の原点を思い出しましたので、その時のことを書きます。

私は学生時代親父のことが憎くてたまらなかったのですが、あることをきっかけに親父の凄さを知りました。

そして、私のたどり着きたい場所は起業だからこそできることだとあらためて実感しました。

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親父と地図を見ながら旅をする。

「ねぇ。小さい頃に住んでたのって横浜のどこらへん?」

 

普段は離れて暮らす親父が家にやってきていたので、話しかけた。

※私の両親は離婚しているのですが、両親は仲は良いのです。
(いや、離婚して距離を置いたからこそ今の関係があるのです。)

 

そうやって私のMacで地図を拡大したり、縮小したりして当時の地域を地図上の旅を行った。

 

「この国道からここで曲がったとこだよ。」

「あれ?あの、よく酒買いに行ってた小さな酒屋まだあるんだね」

「あ、こんなところに駅できたんだ。」

「この公園でさよく遊んだよね。」

 

そうやって小さい頃の思い出にふけった。

 

あの頃はいろんなところに車で連れてってもらったし、結構遊んでくれてたんだなーって改めて思いました。

 

今でこそ、こうやって気さくに話せる仲ですが、高校の頃は憎くて憎くてたまらなかったのです。

親父が憎くてたまらなかった気持ちを乗り越えて…

 

本当に本当に、大嫌いな時期がありました。

 

私が高校生の時、離婚して、仕事も辞めて、情けない父親だと思ってました。

「家族も守れないなんてかっこ悪い」と。

 

そうやってこじらせたまま、親父みたいな生き方は絶対にしない」と生きてきました。

 

だから、酒もタバコも車も、親父が好きなモノはみんな嫌いになりました。

(タバコは今でも嫌いですし、車にも乗れませんが、お酒は時と場合で飲むようになりました。)

 

ですが、ある時に転機が訪れました。

 

僕にも、結婚を考えるくらい好きな人ができました。

 

好きな人や彼女はそれまでもいたのですが、

社会人になって初めての付き合った人だったので、現実的に結婚を意識していました。

 

半同棲みたいな付き合いをしていました。

 

そして、分かったことがありました。

たった一人、最愛の人を守るにも

経済的な力はとても必要だということ。

 

にも関わらず、

社会人になりたてだし、大手の起業でもなかったので薄給だった私にはその一人すらも支えられない、

いや

「自分すら満足に人生を楽しめない」人間だったのです。

そのせいで、僕は心に余裕がなく、最愛の人を失いました。

 

私と同じ年齢の時に親父は…

 

当時の私は、ちょうど私が生まれたぐらいの時の親父の年齢です。

私が「最愛の人一人守れない人間」だった歳には

親父は、母と姉と私と自分の4人を支えていたのです。

そして、私の弟が生まれ5人家族になってすぐにバブル崩壊し、建築業界で下請けをやっていた親父の事業は最も煽りを受けました。

 

その後は、歳が歳ですし、手に職と言っても職人は体力仕事。

もうまともな職にはつけなくなっていたのです。

家族を支える、これは凄いことなんだって、自分が社会人になって初めて気づきました。

 

小さい時は怖い人だと思ってたし、思春期の離婚した時は情けない人だと思った。

だけど、それはただの一面でしか無く、家族のために全身全霊頑張ってきたのが親父の本当の姿でした。

 

そんなことを知ってから私は

 

「絶対に自分が支えたい人を支えるだけの経済基盤を手に入れる!!」と心に誓ったのです。

 

そのためには、経済や会社に振り回されない、自分の力でどんな状態からでも這い上がれる「企画想像ができる起業家」になる道が私にとっては最高の選択肢でした。

 

なのでUSPデザイナーになったのです。

 

USPデザイナーの今だからできること

今では師匠:鉾立由紀さんの支えと、多くの起業家仲間の応援もあり、

私が会社員の時には到底稼げなかった額を毎月頂いています。

 

 

 

自分の生活も安定してきたので、私は、今月から親父に仕送りを始めました。

親父におもむろに仕送りをわたしました。

特に理由はありませんので、親父は目を丸くさせてびっくりしていました。

ですが、「ありがとう」と言ってくれました。

 

そして、

「こんな情けない親父でゴメンな」なんて言うもんだから

「何言ってんだよ、少なくとも私がこうやって、こうしていられるまで育ててくれたじゃんか。それだけで感謝なんだよ」と言いました。

親父はそれ以上何も言いませんでした。

 

確かに、憎んでいたこともありました、

ですが、今の私は親父が自分の親父でよかったと心から思っています

 

バブルの煽りはとても大きかった。一生の人生を狂わせるほどに。

だから早くラクな生活をさせてあげたい。

 

どんなに大変でも、家族を支えてくれた親父の背中は情けなくなんてなかったから、

私はその背中を見習って、今度は私が支えたい。

 

そして、親父が見せてくれた「失敗の背中」からも沢山学んだので、

私は親父を越えてみせます。

 

そうなるために、まだまだ成長していきたいと強く思うのです。

 

こうやって、親父との関係を修復できたのは、「文章」の力です。

私は人生で2回、親父に直筆の手紙を書いています。

人生を切り開く2回の手紙が親父との今の関係を作っています。

だから、私は文章の力を誰よりも信じています。

 

そのことについては次回の記事で書きます。

▶次回 親父が見せてくれた背中を越えるのが息子の役割です。

 

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