自分に、全てを失っても立て直す力を

家族に、他者に左右されない経済基盤を

起業家に、想いと社会を繋ぐ手助けを

 

それが私が起業をすると決めた根底の想いです。

なぜそんなふうに思ったのか?

それは私が生まれる前まで遡ります。

 

こんにちは、
言葉の力とブログの仕組みで自動集客を実現する!
USPデザイナー畠山勇一(はたけやま ゆういち)です。

USPデザイナー畠山勇一

 

バブルが私に教えてくれたこと

私の両親は個人事業主でした。

 

バブル期、建築関係の仕事をしていたので、

家計はそこそこに潤っていました。

 

私も小さな頃はおもちゃを

たくさん買ってもらったことを覚えています。

畠山勇一幼少期
園児だった頃の畠山
雲梯の上に立ちカッコつける、
ヒーローに憧れていた頃

 

しかし、その生活は長くは続きませんでした。

 

 

「バブル崩壊」

 

私はまだその当時は小さかったので、

全然知らなかったことですが、

 

かなりの煽りを受けたのが、建築業界

 

個人事業主とはいえ「下請け」だったので、

「雇われている」のとなんら変わりはありませんでした。

 

そのため、仕事が入ってこなくなったのも早かったようです。

 

バブル崩壊から数年はなんとか持ちこたえたようですが、

泣く泣く廃業。

 

残ったのは多額の借金と先の見えない未来でした。

 

父親は職人ですからなんとか新しい職は決まりましたが、

生活は一変。

 

父は働けなくなり、お金の問題で夫婦仲は最悪な状態へ

 

母親は子供3人を抱えながらのパートタイム。

更に最悪なことに、

新しい職場でのストレスが原因で、

父親が体を壊してしまったことによって、

今までのようには働けなくなってしまいました。

 

そうではなくても、

歳を取れば体力仕事の雇用はどんどんなくなっていきます。

 

生活苦により、夫婦仲はどんどん悪くなり、

私が高校生の時に両親が離婚して一家は分断されました。

 

思春期に受けた大きなショックを救ってくれたのが音楽でした。

 

私もそのショックは大きくて、

軽度の鬱になり、

それまで打ち込んでいた剣道も

前々からあった人間関係の衝突に耐えられなくなっとことも重なり、

退部。

高校から始めたバンド活動に病的に打ち込んでいきました

 

当時私の家には、高校を転校したくなかった私と

その家の持ち主である父親の2人だけが残っていました。

5人住んでいた場所がたった2人だけに。

 

当時の私はひどく父親を憎みました。

口を利くことも一緒にご飯を食べることもありませんでした。

 

進学校に対する疑問

その時の私は

バンド活動と、当時お付き合いしていた彼女だけが、

私の全てでした。

 

進学校だったので、クラスメイトが「大学進学」を当たり前のように考えていた中で、

私は考えが違っていたので、自然とその輪から離れていきました。

 

大学生活なんかよりも「生きる力」が欲しかった。

 

私が思っていたこと

  • 「うちには、予備校にいくお金も、ましてや進学するお金もない」
  • 「やる気もないので勉強にも次第についていけなくなっている」
  • 「そもそも、そんな何も考えないで周りに合わせて進学することに何の意味がある?」
  • 「雇われたって、仕事があったって、景気が変わればどうなるかわからない。安定なんかない。」

 

この時に一番強く感じていたことは

「全てを失っても立て直す力をつけなくてはならない」ということ。

 

結局他人に依存した考え方では、

世の中が変われば、裏切られるし、捨てられる。

 

それは、相手にも生活があるから仕方がないこと。

悪いのは「価値を生み出せない自分」だ。

 

自分だけにしかない価値への切望

「自分だけにしかない価値を作らなければ。」

そう強く思いました。

そして強く思うあまり、

私はこの「自分の価値」にかなり固執していきました。

 

続きます。

 

次回 その2〜好きなことを仕事にしたかったのに本気の覚悟がなかったバンドマン時代〜